◆ 工芸作家インタビュー ・・・ 長文堂 / 長谷川文雄
さん |
「乾燥型鋳造方法」。
この方法は昭和初期に、長谷川文雄さんの父親が考案したもので、量産できる、ということが最大の特徴になっています。
以来山形鋳物業の大半で この方法が使われているそうです。
銅町が栄えるきっかけとなったのも、この乾燥型鋳造方法が使われるようになってからであると言われてます。
長谷川さんが現在、主に制作しているのは鉄瓶で、角張ったものや丸くやわらかい形のものを好み、多く作っているのだそうです。鉄瓶を制作する上で、一番な重要な工程は、木型作り。木型のわずかなくるいだけでも、イメージと違うものに仕上がって
しまうと言います。これが上手く出来ればその作品は成功であるいっても過言ではあ りません。その為、木型のデザインを考えることに特に力を入れるそうです。モチーフをどうデザインに活かしていくのか、どうやって形にしていくのかが一番難しいと言います。
人のまねはしたくないというこだわりが、長谷川さんの作る鉄瓶の形やかんつき、そしてオリジナルの文様にも表れています。
「売れる売れないはその人の作品次第。時代によって形は変わっていくが、機械には 頼らず、昔ながらの手法で手作りで作っていくことが大事である。型から傷ひとつなく出てきた時、満足のいくものができた瞬間に鋳物作りの最高の魅力を感じる。」と語ってくださいました。
父親が鋳物を作る姿を見続けて育ち、子供の頃から自分も鋳物職人になると周りに宣言してきたという長谷川さん。生まれながらの職人肌を長谷川さんが語る言葉ひとつひとつから感じる取ることができました。
最後に長谷川さんは、若い職人さん達にこう語ります。「自分から砂をいじって、粘土をいじって感覚を覚えていって欲しい。鋳物を作る工程には、いろいろな技法が入っ
ているので、鋳物作りをマスターすれば、どんなものでも作ることができる。鋳物だけでなく何かモノを作りたいと思う人は、ぜひ鋳物作りを体験して欲しい。」
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■略 歴
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昭和14年9月 |
父祖代々の鋳物屋に生まれる。
幼少の頃から、鋳物師 長谷川長六に就いで鋳物業を学び、技術を修得す。 |
昭和40年 |
山形市銅町に於いて独立す。 |
昭和49年 |
山形鋳物工業協同組合団地に工場を移転。 |
昭和49年 |
国の第一次伝統的工芸品の指定に伴い、伝統工芸品鋳造家として、昔からの鋳造手法を続け、鉄瓶・茶釜の製作に専念する。 |
昭和55年 |
砂鉄のルツボ熔解法に成功し、純度の高い砂鉄釜の製作に着手す。 |
平成
6 年 |
通産産業大臣日本伝統工芸士認定 |
平成
6 年 |
山形市伝統工芸産業技術巧褒賞 |
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■作 歴
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昭和56年 |
第8回 伝統工芸武蔵野展入選
(肩衝竹絞釜) |
昭和56年 |
第11回 伝統工芸日本金工展入選
(平釜) |
昭和57年 |
第12回 伝統工芸日本金工展入選
(竹絞筒釜) |
昭和57年 |
第22回
伝統工芸新作展入選 (曲げ絞肩衝釜) |
昭和57年 |
第22回
伝統工芸新作展入選 (鉄瓶) |
昭和57年 |
山形県名産品品評会奨励賞受賞
(鉄瓶) |
昭和57年 |
第1回
東北新工芸展入選 (肩衝釜) |
昭和58年 |
第13回
伝統工芸日本金工展入選 (肩衝釜) |
昭和58年 |
第13回
伝統工芸日本金工展入選 (銚子) |
昭和58年 |
第2回
東北新工芸展入選 (肩衝釜) |
昭和58年 |
第10回
伝統工芸武蔵野展入選 (鉄瓶) |
昭和58年 |
第24回
伝統工芸新作展入選 (鉄瓶) |
昭和59年 |
山形鋳物伝統工芸展受賞(鉄瓶) |
昭和61年 |
山形鋳物伝統工芸展受賞(鉄瓶)
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昭和62年 |
第5回
日本新工芸東北展受賞 (肩衝釜) |
平成元年 |
山形鋳物伝統工芸展受賞(鉄瓶)
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平成元年 |
第29回
伝統工芸新作展入選 (竹絞筒釜) |
平成元年 |
第7回
日本新工芸東北展受賞 (平丸釜) |
平成
2 年 |
第20回
伝統工芸日本金工展入選 (花菱肩衝釜) |
平成
3 年 |
第21回
伝統工芸日本金工展入選 (曲げ絞肩衝釜) |
平成
6 年 |
第24回
伝統工芸日本金工展入選 (鉄瓶) |
平成
6 年 |
第41回
日本伝統工芸展入選 (竹絞肩衝釜) |
平成
7 年 |
第25回
伝統工芸日本金工展入選 (平丸釜) |
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平九釜 山形鋳物伝統工芸展受賞 |
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布団釜 伝統工芸日本金工展入選 |
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風炉セット朝鮮 |
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阿弥陀堂霰炉釜 |
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